ヨーロッパでは1618年~1648年まで起きた、カトリックとプロテスタントの最終戦争であり、ハプスブルク家対フランス、ブルボン朝の戦いでもあった、宗教戦争のあと、ウェストファリア条約というものが結ばれ、今日の外交の基本的なルールが作られた。この条約ではたとえば他国の宗教に介入してはいけないなど、いかにも宗教戦争後の条約らしい側面を持っていた。このときからヨーロッパでは、経済力や軍事力など、勢力が均衡している国同士は互いにパワーバランスが取れているので、戦争が起きにくいというバランスオブパワーの理論が国際政治に導入され始め、これはナポレオン戦争で一時崩れるが、1914年の第一次大戦開始まで続くことになり、ヨーロッパは長い間平和を享受できた。このヨーロッパでのバランスオブパワー外交にたけていたのは主にイギリスとドイツであり、イギリスは日露戦争前に日本と日英同盟を結び、ロシアに対して、アジアにおけるバランスオブパワー外交を展開した。しかしロシアが意外にも日本に負けると今度はロシアと、英露協商を結び、のちにフランスも加えて、三国協商を締結した。この背景にはビスマルク失脚後のドイツのバランスオブパワー外交の破棄などがあり、ビスマルクは1800年代後半に、当時世界の覇権国だった大英帝国に、ロシアとフランスと結んで勢力の封じ込めをヨーロッパで行った。日清戦争後の遼東半島の返還はまさに、ドイツ、ロシア、フランスの参加国の圧力によって日本が屈したのだが、背景にはヨーロッパにおけるバランスオブパワーを駆使しようとする大国の思惑があったのだ。しかしヴィルヘルム2世の代になって、ビスマルクが失脚すると、ドイツは対英関係で孤立的な状況に追い込まれていき、第一次大戦につながっていった。この時期のヨーロッパの情勢を今の日本を取り巻く近隣諸国との外交・安全保障に照らすなら、中国と日本だけの比較では、経済力も軍事力も、今は中国の方が日本を凌駕しており、日本一国ではバランスオブパワーは成立しないことになる。仮に周辺国、韓国、台湾、フィリピンなどを加えても中国にはまだ届かないので、そのために日米同盟が重要になってくるというのが、リアリスト的な外交理論であろう。そのための新安保法の制定であり、憲法の改正の必要性などが重要になってくるのであって、日本一国では国を守ることができないという現実を踏まえて、日本はアメリカとの同盟関係の強化にあたるべきであろう。同時に日本も独自に軍事力を備えていかなくてはいけないので、場合によっては核武装に踏み切るなどの重たい決断を迫られるときも来るであろう。